春彼岸の法要が終わり、少しほっとしています。今年は生まれて初めて、「健康診断」という名のつく検査を受けてみたり、また、仏前結婚式の司婚を務めたりと、未だ三ヶ月程しか過ぎていないのにずいぶん多くのご縁に出遇わせてもらっています。
そんな中、お彼岸の最中、ある僧侶と再びお遇いしました。遇ったといっても、本の中での再会でした。なぜなら、その僧侶は、すでに、三十四歳でお浄土へ還られた方だからです。名前はNさんといい、北豊教区にご自坊がおありでした。私は本山のビハーラ第五期実践者養成講座でご一緒させて頂きました。休憩時間に、自教区のビハーラ活動の様子や課題など聞かせて頂いた記憶があります。たまたま、書店で買った本の中に、Nさんに関する文章を見た時、びっくりし、そして心を揺さぶられました。そこには、ガンを宣告されてからNさん自身が綴られた手記の一部が紹介されていました。その中にこんな下りがあります。

 『・・・「間に合った」と思った。私がもし他宗の修行をして悟りを開く僧侶であったなら、今の私はとても間に合っていない。何の悟りもなく、まったく普通の人と変わりない人間性しか持ちえていないのだ。だけど私の聞いてきた教えは浄土真宗だ。とっくに間に合っていたのだ。もうすでに摂め取られていたのだ。まったく本願は頼りになる。仏教について勉強してきた。大学にも行った。いろいろな先生の話も聞いた。難しい本も読んだ。だが、今の自分を支えているのは、難しい仏教の知識ではなかった。覚えてきたことではなかった。
「念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり(歎異抄)」。そうもっともっと単純なことだったのだ。
ほんとうに大切なことは、お寺に参ってきてことあるごとにお念仏していたあのおばあちゃん、その後ろ姿から学んだことだったのだ。この教えに出逢えたことが私の最大の幸せ喜びと初めて気づかされた。・・・』
思えば、親鸞さまの、お念仏の教えに出遇われた喜びもまた同質のものだったのでは。
 では、私に何ができるか。それこそ単純なことかもしれませんが、聞くことしかありません。そして繰り返し聴聞する中に、Nさんがそして親鸞さまが喜ばれた、その喜びの本質を確かめていくことです。
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