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最近、ある本を読みました。前々から読みたいと思っていた本でしたが、なかなかその機会がありませんでした。たまたま、ある会合の合間、僅かな時間が出来たので、ふらりと書店に入ったとき偶然最初に目に付きました。 新版 「夜と霧」(V・E・フランクル著,池田香代子訳)みすず書房 という本です。 この本は、筆者のオーストリア出身のユダヤ人精神医学者が第二次世界大戦中、ご存知のナイスドイツのユダヤ人狩りに遭い、強制収容所で過ごした日々を、被収容者そして心理学者としての視点から著したものです。そこには、強制収容所の想像を絶する苦難の中に「人間とは何か」が静かに語られています。 とくに、第二章 「収容所生活」の中の “生きる意味を問う” という小見出しの部分が印象的です。 「ここで必要なのは、生きる意味についての問いを180度方向転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考えこんだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることに他ならない。・・・・(中略) ・・・・わたしたちにとって生きる意味とは、死もまた含む全体としての生きることの意味であって、「生きること」の意味だけに限定されない、苦しむことと死ぬことの意味にも裏づけされた、総体的な生きることの意味だった。この意味をもとめて、わたしたちはもがいていた。」 もちろん、筆者の信仰は仏教ではないでしょう。しかし、この本に述べられてあることの中身は、仏教の精神思考に照らしても、そこに通ずるものが非常に多いような気がします。みなさまも機会があれば一度お読みください。特に今、いろいろなことで心の萎えている人、そして生きることに疲れている人、そんな方々にはぜひお読みいただきたい本だと思います。
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