昨年10月21日、性原寺前坊守(母)の往生に際しては、門信徒・有縁の皆様方からご厚情を賜りましたこと、あらためて厚く御礼申し上げます。故母の遺志として、これからも皆様方のご協力を賜りつつ、性原寺の護持・発展に努めたいと思います。今後ともよろしくお願い申し上げます。
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・・・母の往生におもうこと
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母につけられた心拍数、血圧、血中酸素濃度のモニターがいずれも一本の線になった時、一緒に看取ってくれた伯父(母の実兄)がその耳元に、最後の言葉をかけました。「もう頑張らんでよかでな、みんなが待っているお浄土にゆっくり還ればよかたっど・・・」
その言葉を聞きながら、私自身、不思議と悲しみの感情はなく、先に往生された懐かしい方々のお顔が浮かぶとともに安堵の思いが頭の中を駆け巡っていました。あんなに死を怖れていた母でしたが、ちゃんと懐かしい人々が待つところに還って行けたじゃないかと・・・。その時に実感しました。依るべきものを持ち、還るべき場所が与えられていること。このことがどれほど見送る側をも支えてくれるものなのか。そして、もう一つ確信したことがあります。なぜ南無阿弥陀仏の救いなのかということを。
5月のゴールデンウィークが明けたころ、治療という形が行き詰まった時、母は8時間を超える手術を受けました。85歳の体には大変かと思いましたが、手術は可能という医師の判断を受け、本人が希望したものでした。術後、療養の為の転院を経て、夏ごろ退院。それから最後の入院になるまでの約2ヶ月を自宅(お寺)で過ごしました。短い期間でしたがデイケアにも通いました。ただ、退院してきた母に大きな変化がありました。もちろん長期入院で、認知機能が幾分低下していることは否めませんが、不思議なことに、ネガティブな言葉が出なくなっていました。そしてそれと同時に、仏さまのことも忘れたかの如く「南無阿弥陀仏」の一言も、また、本堂にお参りに行きたいとの言葉も出ませんでした。結局、僧籍を持っていた母は、お寺にいた最後の2ヶ月、一度も本堂に参りませんでした(周りも敢えてそのことは言いませんでした)。
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