大遠忌法要を迎え皆様のお寺でも、ここ何年間にさまざまな事業に取り組まれたことと思います。私のお寺でも門信徒多くのご懇念を頂き、大修復を致しました。内外を含め約1年半を要し本年6月に落成法要に至ったところです。
 まず最初に取りかかったのは、ご本尊さまの遷座と、その他諸々の本堂内仏具及び備品の移動でした。その時、お内陣裏のもの入れから、初代住職(祖父)縁のものが出てきました。ビニールでぐるぐる巻きに包まれていたものは、あちこち破れ、煤けた粗末で小さな四面折の「ついたて」でした。ぱっと見て処分しようと思いましたが、後で、表具屋さんに無理を言って、可能な部分を移植して仕立て直して貰うようにしました。なぜそのようにしたのか・・・、
 一度も、語り合うことの出来なかった祖父、その祖父が、後進に託したものに僅かながら触れたような気がしたからです。
 私は、祖父と4週間ぐらいの差で、この世で会うことは出来ませんでした。そして今では、祖父の写真や遺品はお寺にほとんどなく(いろんな折々に整理されていったのだと思います)、私が唯一、祖父の顔を見ることが出来るのは、遺影だけです。
 そんな中、出てきた「ついたて」でした。本当に汚く、破損箇所だらけのもので、お宝を鑑定する某テレビ番組に出したとしたら、即座に¥0というものです。なぜなら、それは祖父手作りのものだからです。何も描かれてない小さな素のついたてを買ってきた祖父が、そこに切り貼りをして仕上げたものです。貼っているものは、当時の、週刊誌や雑誌に付いている風景写真・挿絵、書籍の見開き部あるいは自分で所蔵していたであろう古い掛け軸の一部などです。お金のない時代、ご講師部屋の調度品替わりに置くためのものか、あるいは茶席の雰囲気を作ろうとしたのか(祖父は僅かながら茶道の嗜みがあったようです)わかりませんが、とにかく祖父のいじましい努力を感じます。
 ただ、その切り貼りの中で、ひときわ大きなものが、お正信偈の
「憶念弥陀仏本願 自然即時入必定
 唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」
というご文でした。
 築90年余りを経た本堂で、今は亡き祖父の、また、祖父と時代を共にした多くのお同行の大切な願いが、声なき声として聞こえてくるような思いにとらわれました。
阿弥陀仏の本願を信じれば、そのおはたらきによって、おのずからただちに
仏の悟りをひらくに決定した不退の位にはいる
ただ常に 南無阿弥陀仏 の名号を称えて、
如来大悲のご恩に報いる生活を送るべきである
 この文章をお読みの皆様も、お寺(仏法)に興味があったり、あるいはお寺の活動に関わっておられると思います。その切っ掛けはどうだったでしょう。その多くは、今は亡き先達とのさまざまな仏縁によってではなかったでしょうか。それを思うとき、今一度、お念仏者としての原点に立ち返ってみたいものです。浄土真宗の生活信条の一つ「み仏の誓いを信じ 尊いみ名をとなえつつ 強く明るく生き抜きます」
 私がこの生き方を目指し進むところに、一人でもまた新たなお念仏者(仏法を人生の指針とする人)を産み出せるのではないでしょうか。
 ほじめから意図したことではありませんが、自坊の修復落成を迎えた本年は、祖父の50回忌の年です。

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